福岡県久留米 近郊の知的障害者施設 赤坂園 ヘッダー画像
 
 
 
 
   
     
 
 僕は第二赤坂園に来て職員の人や利用者の人とは話しがあまりできませんでした。僕は人間関係があまりにがてです。僕は仕事はいろいろな仕事をしました。第二赤坂園の仕事ではハーネス班と木工班の仕事をしました。僕はマラソンクラブやサークルをしたりしました。マラソンクラブの練習は仕事が5時に終わってありました。マラソンは思いっきり汗をかけるので好きでした。僕はコーヒーが好きなので、夜のコーヒータイムの時間も好きでした。マラソンの時間やコーヒータイムの時に他の利用者の人とおしゃべりを楽しみました。僕は利用者の人と話しができるようになりました。仕事も木工の実習にいけるようになりました。やっと仕事も自信がついてきました。就職が決まってうれしいです。第二赤坂園を離れるのはさびしいけれどグループホームでがんばりたいと思います。そして早く一人暮らしができるようになりたいです。
 
     
   
     
 
「エール」  〜新たな出発に向けて〜

 いよいよ、就職が決まり、5年間の彼の施設生活が終わる。今、彼の心境はどうだろうか。
多分、希望と不安が交差しているのではないだろうか。どちらかというと、不安の方が多いのかもしれない。
 5年前、この施設に入ってきた時は、とにかく孤独さを好み、暗い印象を受けた。「若いのに元気がないなあ。」と感じた。こちらから冗談を投げかけても、笑顔を見せていても、どこか作った笑顔であるなとすぐに気づいた。彼は、どこに知的な障害を持っているのか分からないくらいに見える。
接していても、障害を感じさせないくらいである。彼自身も、自分が知的な障害を持っていると周りの人に感じられたくないようだった。公共の交通機関を利用する時も、割引が利く療育手帳の提示をあえてしなかった。自分が障害者であると知られたくないからだ。施設の中でも、他の仲間と会話は交わすものの、親友と呼べる友達を見つけようとはしなかった。なぜなら、彼の心の中に、「この人達と僕は違う。」という線引きを持っているからだった。あれから5年、仲の良い友達は、多く作れた。入った当初の孤独な彼は、もういない。彼を慕う後輩も多くいる。施設の中で見る彼の笑顔は、随分と変わっていった。
 作業では、どこの作業班においても、一生懸命取り組み、職員に負けない位の技術とがんばりを見せた。外から来た人にはよく職員と間違えられていた。生活においても、ほとんど自分でできるので、彼も、「早く、施設をでたい。」と言っていた。しかし、彼の一番望むのは、一人暮らしだった。グループホームはかたくなに嫌がり、誰からも束縛されない一人暮らしを望んだ。
 彼の希望に沿い、自活訓練を始めた。一人暮らしを始めるには、何を身につけなければならないか。
一緒に考え、取り組んだ。お金の管理、買い物、調理、片付け、掃除、など本人にとって簡単なものから、難しいものまで取り組んだ。概ね身につけられたものから、どうしても支援を必要とするものまで浮き彫りとなった。話し合いを持ち、食事だけは心配のいらない下宿できそうなところを探した。
 しかし、現実はそう簡単にうまく行かない。私達の望むような下宿先も近くには見つからなかった。再度話し合いを持ち、彼に将来の一人暮らしへのステップとして、グループホームでの生活を考えたらどうかと提案した。
 そこで彼も決断した。第二赤坂園を退園した人たちが住んでいるグループホームへの入居となった。そのグループホームの入居者を私はよく知っているが、とても明るい人達ばかりで、面倒見のよい世話人さんをはじめ、実にアットホームなところだ。毎晩、私もうらやむおいしい夕食が食卓に並んでいる。訪れるたびに笑顔で迎え入れてくれる実にあたたかい場所だ。
 けれども、「僕がとけこめるだろうか。」と、人見知りのはげしい彼にとっては不安ばかりの出発だろう。
 けれども、あなたにははっきりとした目標があるはずだ。一人暮らし、そして、結婚まで。そのために必要なものもあなた自身わかっているはず。ただ、それに向かって、難しい課題にも逃げずに向かっていってほしい。
ガンバレ! !